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琉球畳、、、、その言われ
い草(畳表の原草)は遠くインドから沖縄(琉球)を経て日本本土についたといわれています。
そのい草と台をセットにした現在の畳といわれる形になったのはおそらく琉球地方が最初と
いう説があります。その当時は主に寝具として使用されていました。もちろん縁はありません。
それから日本全国(当時は九州から関西中心)に普及していくようになります。
平安時代 公家・僧侶の住まいでは縁のついた畳が使用されるようになりました。
それぞれの身分によって縁の種類(デザイン・色彩・品質等)も決まっていました。江戸、明治、
大正、昭和初期の畳の縁は麻・絹といった高価な素材が使われていたので縁付き畳は高級品でした。
庶民の畳は手間のかからない縁なし畳が殆どだった様です。
戦後になって畳製作機械の発達と丈夫で安価な科学繊維が登場するようになると職人も様変わりします。
手作りが大部分の縁なし畳の方がずっと手間がかかるようになってしまったので反対に縁付き畳を
勧めるようになったのです。以来縁なし畳は年々減少しまた作り手の畳職人も少なくなり
この頃から昔とはまったく逆の高級品として扱われるようになったのです。 |
この近く三島沼津では昭和30年代まで遠州(浜松地方)で生産された畳表を縁なしにした畳を
各家庭でよく見かけました。見た目にはごついけれど丈夫で長持ちするところから”やろう”畳という
呼び名で親しまれていました。そして、現在は目の詰まった畳表を半畳の縁なし畳にして
4畳半・8畳の間に市松柄になるようにしき込み畳表の濃淡(影)を楽しむといった方が多くなりました。
これが”琉球畳”の部屋と呼ばれ大変人気になっています。
縁の無い飾らない畳..遠い昔の畳の原点 琉球の畳 粋な呼び名で楽しんでください。
・・・ちなみに
現在、沖縄(琉球)では沖縄ビーグと言う名前のい草を使用した畳が主に使用されています。
高温多湿のこの地方に適した湿度をより調節する少し太めで幅の広い、しっかりした草質の
畳表で色は最初から薄茶色に近い感じがします。沖縄で生育生産使用ですので大変人気があります。
ですからこの地方での”琉球畳”は沖縄ビーグ畳という事になります。 |
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